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信は万物の基を成す

代表取締役
クリエイティブディレクター
品田 宜志
Takashi Shinada

とある田舎街の小学校にそれはそれは、人の事をばかり自慢する少年がいた。 少年には変な癖がある。 あいつは本当にバネがあって足が速い。
彼はスタイルがよくて本当にモテるよなー。
あの先輩の野球のテクニックはすごかった。
うちの親父の仕事はかっこいい。
とにかく、自分のことは差し置いて、人の事を話すというクセ。 そんなこともあり、変なやつだ。といわれる事もあるし、
たまにテンションが上がりすぎて話しを少し盛るクセがあったので、
嘘つきとも言われる事もあった。
今思えば、この頃から、何かを伝える事が好きだったのかもしれない。 これといって特技もないのだが、食べる事は大好きであったので、少年時代は立派な肥満児に、(思春期を向かえて激ヤセ) 小学校時代は空手。中学高校時代には野球にひたすら打ち込んだ。
下手くそだったけども、何の悔いも残らないくらいに、打ち込んだ。
彼はその後、上京する事になり、父親が初代で稼業である、
和食料理人の道を志し、修行の道へ入る事になる。
ただ、なんとなく、いずれそうなるんだろうなという気持ちで。 修行初日の事は今でも覚えている。
空気が張りつめた調理場、換気扇の音しか聞こえない。
しかし、全身の気が張り巡らされ、心は緊張状態にある。
それは、紛れも無いプロの世界だった。
想像以上の圧力と、プロの技に圧倒され、この世界でやっていけるのか?と
心が押し潰れそうになった事を今でも覚えている。
その一日は、プロフェッショナルの世界だからこその孤独感、絶望感と、1日17時間労働の疲労感で覆い尽くされた。 最終的には6年余りの間修行を続け、小さなお店の2番手を任せて頂く所までやらせて頂いたのだが、続けてこられた理由は「父親の為」この一点に尽きる事が自分でも最後の最後で気づいた事だった。 ただ一つの悔いも残らず。その経験で得られた副産物は人生の中でとても大きいものとなった。彼は板前の経験をキッカケに日本の文化にのめり込み、愛し、様々な人に伝えたいと思うようになる。 伝える仕事の修行がしたいという、その思いだけで、包丁を置く決意をすることに。 当然、包丁を使った仕事しかしらないもので、その場しのぎの日雇い仕事を始めることになるのだが、新宿駅は東南口でのティッシュ配りから、彼の人生は大きく回り始める。